近年、中国で国民の海外渡航を制限する動きが再び強まっている。空港での出国審査が厳格化され、特定職業層へのパスポート返納命令や発行制限も報じられている。SNS上では「地方政府がパスポートを一斉に没収している」「出国許可が下りない」といった証言が相次いでおり、国際社会からは「再び中国が“鎖国的管理”に向かうのでは」との懸念が広がっている。
中国当局はこうした措置を「国家安全上の必要」「違法越境の防止」と説明するが、専門家はその裏に経済不安と人材流出への強い危機感があると指摘する。かつて「改革開放」で世界に門戸を開いた中国が、なぜいま再び“内向き”の統治に傾いているのか。その背景には、社会構造の変化と国家の統制思想の再強化がある。
目次
パスポート没収と出国制限の実態
2023年以降、中国各地で地方当局が公務員・教員・国有企業職員に対し、パスポートの返納を求める通知を出していることが明らかになった。これにより、当該職員は実質的に自由な海外旅行や出張が不可能となった。
さらに、民間企業の一部でも同様の指導が行われているという。外資系企業に勤める中国人社員が「会社から個人パスポートを保管するよう求められた」と語る例もある。
一方、個人が新たにパスポートを申請する場合も、発行理由の証明を求められるなど、以前より審査が厳格化。観光目的の申請は却下されるケースも増えている。中国公安部出入境管理局は公式には「偽装留学や不正渡航を防ぐため」としているが、実際には「国外逃避」や「海外転職」を抑制する狙いが強いとみられる。
経済停滞と“人材流出”への恐怖
背景には、中国経済の鈍化がある。住宅市場の崩壊、若年層の失業率上昇、外資撤退などが重なり、社会全体に不安が広がっている。
かつては「海外留学から帰国すれば成功できる」と信じられていたが、近年は逆に「中国を出ること」がステータスになりつつある。富裕層はシンガポールやカナダへ資産を移し、IT技術者や研究者は米国や欧州の企業に転職するケースが増加。
政府はこうした“頭脳流出”を警戒しており、出国制限はその防止策の一環とされる。
特に注目されるのが、半導体やAIなど戦略技術分野の専門家に対する管理だ。
「国家機密に関わる人材の国外流出防止」と称して、渡航制限や再入国時の調査強化が進められている。
つまり、パスポート管理は単なる“国民監視”にとどまらず、経済安全保障の一部として位置づけられているのだ。
統制思想の復活と「国家安全法」拡大解釈
中国政府の統治方針を読み解く上で無視できないのが、「国家安全」というキーワードである。
2015年に施行された国家安全法は、当初テロ対策やスパイ防止を目的としていたが、現在ではその範囲が拡大し、経済活動や思想表現までも対象となっている。
この法解釈のもと、「国外での言論活動」「外国企業との接触」などが“安全保障上のリスク”とみなされることもあり、出国制限の法的根拠として用いられている。
加えて、習近平政権は「思想の安全」も国家安全の一部と位置づけ、海外の価値観流入を警戒している。
海外で自由な情報に触れた市民が帰国後に体制批判を広めることを恐れているとも言われる。
したがって、出国制限は物理的な国境管理であると同時に、“思想の流出防止”でもある。
デジタル監視国家の完成と“渡航トラッキング”
近年、中国では「スマートガバナンス」の名のもとに、顔認証・ビッグデータ・AIによる監視システムが全国的に導入されている。出入国管理も例外ではない。
空港や鉄道駅には最新の顔認識ゲートが設置され、個人の移動履歴は公安データベースに即時記録される。
こうしたシステムにより、政府は「誰がどこへ行き、何をしたか」を常に把握できる体制を築いた。
さらに、中国は「デジタルパスポート」構想を進めており、将来的には紙の旅券を廃止し、スマートフォンアプリで本人認証と出入国管理を行う可能性がある。
利便性をうたう一方で、個人の自由がより制限される懸念も強い。
事実、現在すでに一部地域では「信用スコア」が低い市民が海外渡航を制限される例もあり、国家による“行動選別”が現実のものとなりつつある。
国際社会の懸念と「閉じた中国」への警告
こうした動きに対し、国際社会は懸念を強めている。
国連人権理事会では、中国国内での移動制限や出国拒否が「国際人権規約に反する可能性がある」との意見が出され、欧米メディアも「冷戦期以来の閉鎖的体制への逆行」と報じている。
特に、海外在住の中国人留学生や実業家が、帰国時に尋問や拘束を受けたケースが増えていることから、「越境する思想の監視」が現実化しているとの指摘もある。
一方で、中国政府は「外国勢力による干渉」と反論し、国家主権の名のもとに統制を正当化している。
国内メディアも「愛国」「自立」「集団の秩序」といったスローガンを繰り返し、国民の不満を外部要因へと転嫁している。
結果として、海外志向の若者はますます不安を抱え、国外脱出を試みる一方で、それを阻む“見えない壁”が高くなっている。
開かれた経済と閉ざされた社会のあいだで
いまの中国は、外に対しては巨大な経済圏を築きながら、内側では国民の移動と情報を制御する「開かれた閉鎖国家」となりつつある。
パスポート没収はその象徴であり、単なる行政手続きではなく、統治思想そのものを映す鏡だ。
政府が恐れているのは外敵ではなく、国外へ流出する知識・情報・人材である。
中国が本当に“強国”として安定を保つためには、国民の自由な往来を敵視するのではなく、社会の信頼と希望を回復することが不可欠だ。
しかし現実は、経済不安と情報統制が結びつき、国家が個人を囲い込む構図が強まっている。
その行き着く先が、かつての“壁”の再構築なのか、それとも新しい秩序の模索なのか。
世界はいま、巨大国家の内なる閉鎖がどのような未来をもたらすのか、静かに見守っている。

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