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維新の会で問題視された「国保逃れ」とは何だったのか
維新の会の地方議員が行っていたとされる「国保逃れ」は、年明け以降、複数のメディアで一斉に報じられた。報道の要点は、議員が本来加入すべき国民健康保険ではなく、社会保険に加入することで、結果的に保険料負担を抑えていたという点にある。
これに対し、「身を切る改革を掲げる政党の姿勢と矛盾する」「制度の抜け穴を利用した脱法行為ではないか」といった批判が噴出し、維新の会としても記者会見を開く事態となった。
しかし、この問題を単なる「倫理の問題」や「一部議員の不正」として片付けてしまうと、本質を見誤る。なぜなら、今回使われたとされるスキームは、税理士や社会保険労務士の間では以前から知られており、政治家に限らず、一般の個人事業主や零細事業者の間でも広く使われてきたものだからだ。
問題の根は、個人のモラルというよりも、日本の社会保険制度そのものが抱える構造的な歪みにある。
国民健康保険と社会保険の決定的な違い
今回の騒動を理解するためには、まず国民健康保険(国保)と社会保険(健康保険・厚生年金)の違いを押さえる必要がある。
国保は主に自営業者やフリーランス、無職者が加入する制度で、保険料は前年所得や世帯構成、自治体ごとの算定方式によって決まる。特徴は、保険料を全額自己負担する点だ。所得が高くなればなるほど、保険料も重くなる。
一方、社会保険は会社員や公務員が加入する制度で、保険料は給与額を基準に算定され、本人と会社が折半して負担する。そのため、一定以上の所得層では、国保より社会保険の方が実質負担が軽くなるケースが少なくない。
ここに「国保より社保の方が安い」という逆転現象が生じる余地がある。
重要なのは、日本の制度では国保と社会保険の両方に同時加入することはできず、必ずどちらか一方を選ぶ仕組みになっている点だ。そして、その選択は「どれだけ稼いでいるか」よりも、「どの立場で、どの事業所に、どんな条件で属しているか」によって決まる。ここに大きな制度的な穴が存在する。
働き方の多様化が生んだ“グレーゾーン”
現代の日本では、働き方が極端に多様化している。正社員、契約社員、派遣社員、パート・アルバイト、フリーランス、ギグワーカー、個人事業主、さらには法人代表と個人事業主を兼ねる人まで存在する。
これらは「労働者」と「事業者」という二極ではなく、その間に連続したグラデーションとして存在している。
しかし、社会保険制度はこの現実に対応しきれていない。制度上は、週の労働時間、月収、事業所の従業員数など、形式的な基準で社会保険加入義務が判断される。その結果、実態としては同じように働き、同じように稼いでいても、どの会社・どの立場に属しているかによって保険料が大きく変わるという状況が生まれる。
特に複数の仕事を掛け持ちしている場合、社会保険料の算定対象となる報酬が「一部の事業所の給与だけ」に限定されるケースが存在する。これが、意図せず、あるいは意図的に、保険料を抑える結果につながる。制度は形式を見ており、実態所得の総額を必ずしも反映しないのだ。
維新の会の議員が使ったとされるスキームの実態
問題となった議員のケースでは、「社会保険に加入できる立場」と「加入対象外となる立場」を併せ持っていた点が重要だ。
議員としての報酬は、社会保険の適用事業所に基づくものではない。一方で、別の事業所では、任意加入や協定によって社会保険に加入できる立場にあったとされる。
この場合、制度上は社会保険に加入している事業所からの報酬のみを基準に保険料が算定され、議員報酬は計算に含まれない。結果として、実際の総所得に比べて低い保険料で済む。
これは法律違反と明確に断定できるものではなく、制度が許容してきた運用の範囲内に収まっている。
同様のスキームは、個人事業主が法人を設立し、法人からの役員報酬を低く設定することで社会保険料を抑えるケースなど、一般社会でも広く見られる。今回の件が注目されたのは、それを行った主体が「政治家」であり、「改革」を掲げる政党に属していたからに過ぎない。
「国保逃れ」「社保逃れ」が同時に存在する制度の矛盾
この問題の本質は、日本の保険制度が国保逃れも、社保逃れも、どちらも可能な構造になっている点にある。
社会保険に入ると将来の年金は増えるが、今の手取りは減る。そのため、あえて国保を選びたい人もいる。一方で、国保の保険料が高すぎるため、社会保険に入れるならそちらを選びたい人もいる。制度は、こうした選択を排除してこなかった。
国の本音は明確で、最終的には国民全員を社会保険に加入させたい。そのため近年、週20時間以上、月8万8,000円以上、従業員51人以上といった要件が段階的に拡大されてきた。将来的には、労働時間や従業員数の要件すら撤廃される可能性も指摘されている。
今回の騒動は、個人の問題というよりも、「今まで誰も解決できなかった制度の歪み」が政治闘争の中で表面化した事例と言える。
問われるべきは誰かを糾弾することではなく、この制度をどう再設計するのかという点だ。

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